RAPTブログに出会ったきっかけについて、話したいと思います。

私がRAPTブログを読み始めたのは、2015年の春先くらいだったと思います。

それまでの私は、お金を貯めては海外へ行くというのが自分の生き甲斐でした。息苦しい日本にいるのが、苦手だったんだと思います。そんなこともあって、貯金しては、海外へ行き、無くなってはお金を貯めるために働くといった生き方をしていました。

しかしそれも今思い返してみると、ただ自分のいる場所から、理由をつけて逃げ出したかったんだと思います。新しい土地へ行けば人生が変わるのではないかと。

そんな私も30歳を過ぎた時から、もう長期旅行はいいかな、と思えるようになってきました。自分が求めてた変化は、場所を変えても変らないということに気づいたのもあります。

また30歳までに結婚しないといけないという、自分の思い込みがあって、それが計画通りにいかず、恋に傷ついた私が出した結論は、”結婚をしない人生を受け入れよう!”でした。

正直その考えを受け入れた私は、非常に心が楽になりました。頼れるものは自分しかいないのだから、自分がしっかりしないといけないと、将来1人でも生きていけるように、手に職をつけようと意気込んでいました。

そんな時、今の夫と出会いました。結婚をしない人生を受け入れた途端、結婚相手が見つかる。人生とはこんなもんなのかもしれないと思いました。

(詳しくは、「RAPTブログに出会うまでの自分」のページに、恋愛をしなければならないという間違った考えに囚われ、長い間苦しみもがいていた自分の人生について語っています。)

結婚当初、私は夫に、結婚前に手に職をつけたいと勉強しはじめていたことを、家で引き続き勉強させて欲しいとお願いをしました。しかし、やりたい気持ちとは裏腹に、自己管理能力に欠けている私はすぐに怠惰になってしまい、自己嫌悪する毎日が続いていました。

私はどうしてこうも怠惰になってしまうのだろう。本当は、一生懸命家でも勉強をしたい。でも、しようと思えば思うほど、テレビを見たり、ネットをしたりして違うことばかりしてしまう。

小学生の時もそうでした。夏休みの宿題。毎年、7月中に終わらせるぞ!と意気込んで始めるのに、夏休みアニメ特集からはじまり、いいとも、ライオンのいただきます、15時のワイドショーまで、続けてテレビを見てしまったりして、毎日を怠惰に暮らしていました。

テレビを見ると、何もする気にならない。活力が湧いてこない。テレビの前から動けない。無駄な一日が淡々と過ぎていくという罪悪感。

しかも宿題が全くできていないから、常に心には焦りがあり、結局夏休みの終わり3日間くらいになんとか片付けるということを毎年続けていました。中学生に入ってもそう。中間テスト・期末テスト、試験の1週間前からちゃんと勉強をしたいと思うのに、それが出来ない。結局前日に徹夜で詰め込む。

一夜漬けでしか試験勉強ができない自分・・・

薄々その原因は、テレビや漫画にあると自分でも気づいていました。気づいていながらも、長い間ずっと抜け出せずにいました。

余りにも自己管理能力の低い自分にいつも嫌気がさしていました。もっと時間を有効的に使いたい。色々能力を身に着けることに費やしたい、と思っているのに、しようと思っても全くできない自分。

社会人になってからも、その自分は変わりませんでした。会社で決められた時間働いている時は、一生懸命集中して働いていましたが、家で勉強をしようとすると、全くすることができませんでした。

あの会社での集中力が、家でもできたらどれほどいいだろうと、思いました。

私は20代前半の時、ある小さな会社で働いていたのですが、その時自ら社長に、「○○試験に挑戦したい」と話したところ、試験費用を会社が負担するので、社員全員でその試験を受けようということになりました。

私はその試験の参考書を買い、空いた時間に家で勉強しようとトライしたのですが、全くできず。本当に全くできなくて、試験当日は試験をすっぽかしてしまいました。

自己嫌悪もいいところです。自分の不甲斐なさに、自分のダメダメさに、意気消沈通り越して、うなだれるばかりでした。

自分のダメダメさにしぼむ心

20代後半からは、勉強したいことも出てきて、私はいくつかの学校へ通う機会がありました。自分で貯金したお金で、学校に通う。お金の大事さも分かっているから、一生懸命頑張ります。少し自分に自信がつきました。

そんなこともあって、少しはましになったかなと思いましたが、結婚後、いざ自宅で勉強をしようと思った時、昔と変わっていない自分に再度向き合うことになりました。

机に向かって作業を行うことが出来ない自分。やりたいことはたくさんあるのに、逃避ばかりしてしまう自分。

そんな自分に自己嫌悪。毎日を不甲斐ない気持ちで過ごしていたところ、以前登録していた派遣会社から仕事の紹介が入りました。

その時の私は、できれば会社勤めをしないで、個性才能を活かして将来的には自営で働けるようになりたいと思っていたのですが、余りにも自己管理ができない自分には、その道のりは厳しいと痛感していたところでした。

そんなこともあって、派遣会社からの仕事の誘いは、自立への道を諦めるのに、毎日不甲斐ない生き方をしていた自分から逃げ出すのに、丁度よいタイミングでした。

また、その時紹介された仕事の内容も、スキルアップにつながると思える仕事だったこともあり、私は早々に自立の道を諦め、再度会社勤めをすることにしたのです。

RAPTブログの出会いのきっかけは株をしようと
思いたったことから始まった。

いざ働きはじめると、夫婦共働きということもあって、1年働いた段階で十分な貯蓄ができるようになりました。
銀行の利子が余りにも少ないから、私は株でも始めてみようかなと思いました。

当時NISAといって、株や投資信託での利益がある一定額は非課税にするという制度が開始されたころで、株をしたことがない人も、株を始めやすいような環境が整えられていました。

そのことを、姉に会った時に話したところ、株で儲けることができるのは一部の人だけで、一般市民は儲からないようにできているから、やめたほうがいい。あんたは世の中のこと、何も分かっていないんだからと、姉が世の中のことを知った感じで話しだしました。

今思うと姉はその頃、ネットで色々と世の中の情報を見ていたんだと思います。世の中の裏側の話とかそういったのを。それに比べて私は、テレビや新聞の情報をそのまま鵜呑みにして生きていた、ただのB層にすぎませんでした。恥ずかしながらB層という言葉も知らなかったくらいです。

そんな姉が、世の中の情報の一部を私に見せたかったのか、おもむろにパソコンを開いて、たまたま表示した情報が、金正恩が馬に乗っている画像でした。そしてそのタイトルが「北朝鮮のトップ「金正恩」は日本の天皇家の血筋です。」という目を疑うような衝撃的なタイトルでした。

初めて読んだRAPTさんの記事 衝撃度120%

姉はたまたまそのサイトを開いただけなのでしょう。姉はそのサイトの話題ではなく、いかに私が世の中のことを分かっていないか、株なんかしても儲からないという話を延々と続けていました。

自分の家に戻った私は、もっと世の中のことを知って、株をしたら良いのではなかろうかと思いました。姉がおもむろに開けていた、あのショッキングなタイトルのサイトを早速検索してみました。

馬に乗った金正恩の記事、ヒットしました。そして、そのブログこそがRAPTさんのブログだったのです。

私はその日から、RAPTさんのブログを読むことが毎日の日課に変わりました。最初は世の中のことを知ってから、株を始めようという、不純な動機で、私はこのブログを読み始めたのです。

今思うと、本当に出会いとはひょんなことから始まります。もし、この時このタイミングで出会っていなかったら、私の今の人生は相変わらず、不安に支配された人生のままだったでしょう。

続いての章「RAPTブログを読み進めていくうちに気づいた変化」で、どうしてRAPTブログを読み続けるようになったのか、また読み続けるに従って、気づいた心の変化について、触れていこうと思います。