前の章、「RAPTブログとの出会い」でも書かせていただきましたが、RAPTブログを読み続けるようになったのは、もっと世の中のことを知って、株式投資をはじめるのに有利な情報を得られないだろうかと、不純な動機から始まりました。

RAPTブログを読みすすめていっても、一向に株を購入するのに有利な情報は手に入りませんでしたが、読み続けている内に、少しずつ思いもせぬ変化が自分に起こっていることに気づき始めました。

RAPTさんのブログに出会うまでの私は、夜な夜な yahooニュース などの記事を見て寝るのが日課でした。

しかしyahooニュースを見ていると、気分がすっきりするのではなく、不安な気持ちが出てきたりして、寝つきも悪く、翌朝もけだるい気持ちで起きることが多かったです。憂鬱な気持ちで迎える朝は、しょっちゅうだったので、会社へ行きたくないと思う日が多々ありました。

朝起きて気だるいのは当たり前のことだと
長年思っていた。

それはYahooニュースに限らず、学生の頃も同じです。テレビを見たり、ゲームをしたり、漫画を読んだり、そのような生活に溺れていると、翌朝起きるのが辛く、学校へ行くのが億劫だった日々と重なります。

その時も、いつからこうなったんだろうと、自分ながらに振り返って考えてみたことがあります。幼少期は別に朝起きるの辛くなかったよなぁと。やはり、考えが行きつくのは母が仕事に出るようになった、小学生2年生の時から始まっているように思います。

管理する大人がいない中で、子供がテレビを見たいだけ見だした時から。その時から宿題もできなくなったし、お絵かきしたりする時間も極端に減り、マスメディアの流す情報ばかりに釘付けになって見ていました。面白いわけではないけど、終わるまで見ていました。

時が経つにつれ、朝起きて憂鬱なのは、けだるい日が日常的に起きるのは、当たり前のことなんだと思って生きるようになりました。

しかし、RAPTさんのブログに出会い、夜寝る前の日課がRAPTブログを読むようになった私は、徐々に翌朝の目覚めがスッキリとしていることに気づきだしました。

今までの私は朝起きた時から、心に不安を感じてたり、憂鬱な気持ちで一日が始まっていたのに、それがみるみると無くなっていったのです。

RAPTさんのブログを読んでいくと、人生について書かれている記事もいくつかありました。その中でも下のような記事は、この世の中の仕組みに息苦しさを感じ、個性才能を伸ばして生きていきたいと思っていた私にとって、共感することができ、また力が湧いてくる記事でした。

将来の夢を描き、それに向かって努力していくこと。

人間一人一人には大きな価値がある。

サラリーマン・OLだけが人生ではない。新しいライフ・スタイルを発見しよう。

私も自立したい、この生き苦しい会社生活が当たり前になっている世界から抜け出したい。個性才能を伸ばしたい。自己管理できるようになって、成長したい、そのような思いがじわじわと再度芽生えてきました。

さらにRAPTさんはブログの中で、テレビの与える害についても語って下さっています。
記事の中で、日本の放送局と韓国の放送局の住所が同じで、日本の新聞社と韓国の新聞社が同じということを知り・・・、本当、論より証拠ですよね。

この記事のタイトルを見ても分かる通り、「テレビに関わるな。」とはっきりと書いてくださっています。こんなにも、明確に断言してくださり、またそれと同時になぜおかしいのかを話してくださるので、少しずつ洗脳から抜け出すことができるようになりました。

RAPTブログを読めば読むほど、今までマスコミやテレビ・新聞によって、嘘の情報・間違った考えで埋め尽くされていた自分の脳が、真実の情報・正しい情報で少しずつ上書きされ、蓄積されていきました。

RAPTブログの記事の内容は、政治のこと、歴史のこと、世界のこと、過去に起きた事件、天皇家の闇、幼児虐待、悪魔崇拝者、また日本の宗教(仏教・神道)について等、多岐にわたります。

その情報は長い間、テレビやマスコミの情報を鵜呑みにしきた、私の考えを一新させてくれ、世の中にはたくさんの嘘が存り、支配者層が政治・宗教と絡み合い、世の中を支配しようとしている人たちがいることを知りました。

そして記事の内容は重たい話題もたくさんあるのに、朝起きた時の目覚めはすっきりとしているということに、RAPTブログを読みすすめていくうちに、気づきはじめました。このことを最初のうちは不思議に思っていました。そして自然と寝る前に読むのが日課になっていたyahooニュースをみる習慣もなくなっていきました。

そんな中、RAPTさんがクリスチャンだということを最初に知った時は、「あ・・・、そうなのか・・・。」と、少し身構えた自分がいました。それはなぜなのかというと、長年宗教というものに苦手意識を持っていた自分がいたからです。

外国の人が、クリスチャンだったり、イスラム教徒だったりといったのは、抵抗はないのですが、日本の場合はずっと私の中で、宗教=悪いイメージしかありませんでした。

統一教会の合同結婚式や、オウム真理教の地下鉄サリン事件のニュースは、私は連日そのニュースを見続けていたこともあり、宗教とはろくなもんではない、という考えが頭の中に叩きこまれていました。

そんなこともあって、もしこのブログを見続けることによって、クリスチャンへ誘導されるようなことになったら、嫌だなぁと、少し身構えてしまいました。

しかし、最初はそんな風に思い少し警戒もしましたが、RAPTさんの記事を読んでいるとすぐにそんな考えはなくなっていきました。

世の人のことを考え、本気で世の中を変えていこうとしている。記事を読んでいれば、RAPTさんの真摯な人柄が自然と伝わってきます。そしてそれらは、時間の経過と共に、RAPTさんを信頼してもよい人だと思えるように変化していきました。

論よりも証拠というか、何よりもRAPTブログに出会ってから、心がスッキリするということを自分が体感しているということが、一番すんなりと信じることになったきっかけでもあります。

後々これが、知らず知らず私はRAPTさんの書いた文章から、聖なる力を感じとっていたからだということに気づきましたが、その時の私は、そんなことを知る余地もありませんでした。

続きまして次の章、RAPTブログを通して「悪魔崇拝者がいるという確固たる事実を受け入れるまで」へ続きます。