2015年8月から、RAPTさんは一般記事と並行して、キリスト教の神様について書かれた有料記事をスタートされました。
その頃、毎日RAPTブログを読むのが日課になっていた私は、有料記事が始まったことにより、毎日配信されていた一般記事が有料記事が出る日は、読めなくなってしまいました。
最初はお金を払ってまで読むのに戸惑いがあったのですが、もうその時にはRAPTブログを見ることが毎日の日課になっていたので、私はとうとう我慢できずに、とりあえず8月分の記事を買ってみることにしてみました。
読んでみて思った内容と違うなら有料記事を買うのはやめようと、そんな気持ちで有料記事の購読をスタートしました。
8月の有料記事を読んだ時、聖書の知識など有益になる情報だったけれども、その次の月も買うかは、お金もかかるしどうしようかといった考えがまだ残っていました。
有料記事を購読して2、3か月が過ぎた頃、文章がメインで書いてある記事に、聖書の言葉や、御言葉がそんなに自分の中に入ってこなかったのもあって、そろそろ購読をやめようかなと思い始めたところ、まるでそのことを見透かしていたかのように、音声での配信の記事がどんどん増えていきました。
私の心の声をRAPTさんが分かっていたかのようなタイミングに、すごく驚いたことを覚えています。そして、私にとって音声で聞くのは、文字を追うよりも御言葉を聞きやすかったこともあり、もう少し購読を続けることにしてみようかなと思いました。
2015年の年末、当時私は会社勤めをしていたのですが、大きな問題にぶつかり疲労困憊の日々を送っていました。今までストレスで胃がキリキリ痛むということは日常茶飯事でしたが、頭がズキズキと痛む(片頭痛というのでしょうか)といった経験はそれまでの人生の中でなかった事だったので、これは相当なストレスを感じているようだと実感しました。今までおでこにはなかった、変な血管が浮き出るようになっていましたから。
当時の私は、御言葉を読んでいましたが、神様に自分の悩みを打ち明けて、必死ですがって祈るということはまだしたことがありませんでした。
有料記事の中では、具体的な祈り方や、祈りの重要性について教えてくださっていました。
私はある日、自分一人では耐えきれずに、藁にもすがるような気持ちで、自分のストレスの原因であった会社の仕事問題について、必死で神様に祈ってみました。目をつむって、自分の中にある苦しみ、ドロドロした黒いものをを剣で切っては焼き払い、そしてサタンも同様にイメージしながら、叩きのめしました。
自分の心に感じている不安がなくなるまで、戦い続け、神様に祈り続けました。
そして祈り終わった時、自分の心が平安で満たされていることに気づきました。祈る前までは心が暗い闇に覆われていたのに、それがきれいさっぱりと無くなっています。またストレスで考えすぎて、胃がキリキリ痛んでいたのも嘘みたいに、痛みが治まっていました。
私はその時から祈りの力を信じるようになりました。RAPTさんが言っていることは本当なんだと、神様はいるんだということを。自分の体験を通して悟ったこの瞬間から、私は信仰を持つようになりました。
神様にすがって祈ることで、長年自分が抱えてきた心の苦しみ、心の叫びに対処できる方法があるんだということを、この時初めて知りました。それらは祈りによって追い出せるんだということを。
それは本当に目から鱗の出来事でした。自分が実践してみて初めて分かったのです。このことがきっかけで、私は神様の存在を信じるようになりました。神様がいるのと同じように、目に見えないだけでサタンもいるのだということも。
それからは、自分の生活の中で、何か問題があるたびに、祈るようになりました。
RAPTさんの御言葉を聞くことで、難解な聖書も、最後まで読むことが出来ました。1回目に読んだ時より、2回目に読んだ時の方が、さらに前読んだ時には分からなかった神さまの心情を理解して読むことができるようになりました。
RAPTさんが、御言葉の中で罪について色々教えてくれています。また聖書の中でも、罪についてたくさん書かれています。世の中では、罪にならないことでも、神様の世界では、それが罪であったりします。私は今まで知らない間にたくさんの罪を犯していることに気づきました。
それ以来自分の中で出来る事から、1つ1つ罪をなくしていけるように努力をしていきました。
私は未だにたくさんの罪を持っています。気づいていない罪もたくさんあります。しかしながら、自分を清めていくことがどれほど大事か気づきました。
罪を持ち続けていると、心がふさぎ込んでいきます。祈りによって、また罪を悔い改めることによって、朝起きた時に自分の心が平安に包まれています。
RAPTブログに出会う前は、私は必ず月曜日の朝は、いつも憂鬱な気持ちで向かえていました。いつも心が暗いどん底にいる感じで、会社にいくのが億劫で仕方がなかったです。そんな心の状態で、朝を迎えることが日常でした。
御言葉を知った今は、それがどうしてだったか分かります。
それは全く霊の存在を意識して生きていなかったからです。人間には霊と肉があるということを御言葉を聞くまで私は知りませんでした。だから私は霊のことまで一切考えないで生活をしていました。
一日会社で働き、家に帰ってからは、テレビを見たり、WEBニュースやためにならないサイトの情報ばかり見ていました。
この世の中には嘘が溢れかえっていて、その情報ばかりに触れていることによって、霊が耐えきれず苦しみ叫んでいたことも知らずに。毎日毎日霊を苦しめることばかり行っていました。
私は長年サタンが支配する世界で生きてきたため、自分の考えがサタンのようになり、そのため私の霊は普段から
サタンのいる場所へ行っていたのでしょう。だから霊の悲鳴が、苦しみが、朝から体を通して、伝わってきていたのだと思います。それが憂鬱の原因なんだと悟りました。
しかし、そんな状態もRAPTブログに出会い、世の中の情報を極力見ることが減り、真実を徐々に知っていくことで、私は少しずつ、正常な心を取り戻していきました。
さらに御言葉を知り、そして祈ることによって、どんな心配や不安にも打ち勝てるようになり、毎朝すっきりとした気持ちで、朝を迎えることが出来るように変化していきました。
その後は、ことあるごとに、自分の生活の中で問題があるたびに、神様に祈って頼ってきました。そうすると、不思議なことに、いつも必ず神様は助けてくれました。
その証拠として不安・心配で心が押しつぶされることがなくなりました。
私は20代の時に大きな失恋をして、その痛みを引きずって、そのことを考えては胃がキリキリと痛むようになっていました。またその時から恋愛だけでなく、仕事やプライベートで嫌な事が起きても、すぐに胃がキリキリと痛むようになっていました。そして歳を重ねるごとにその症状はどんどんひどくなっていきました。
しかしそんな胃の痛みも、不安や心配も、神様に祈ることによって、取り除けるんだということが、今現在も私が信仰を続けている一番の理由です。
信仰生活をどんなことがあっても、手放したくないのは、その時の自分に戻るのが本当に嫌だからです。
その場所は地獄だと知っているからです。何があってもあの頃の自分には戻りたくありません。
私の霊がもう苦しんで叫んで、いっぱいいっぱいになっている時に、RAPTさんによって救いの道を教えていただきました。
だから、この救いの道から外れることなく、なんとか踏ん張って、這いつくばってでも、主の道を進んでいきたいと思っています。
そして神様にたくさん今まで助けてもらっているから、今度は私が神様を喜ばせることができる者になっていきたいです。
神さまは霊だから人間の私たちの力が必要だと仰ってくれています。神様は多くの人を救いたいと思ってらっしゃいます。
私はRAPTさんを通して神様の存在を知り、自分の心が救われました。最初の内は自分の幸せ、利得関係だけを求めてこの御言葉を聞き続けていましたが、それでは神様が私を救ってくれた意味がないことを今は悟っています。
今は、自分だけ救われて良しとするのではなく、多くの人にこの御言葉を知ってもらいたいと思っています。世の中には私が御言葉に出会う前のように、苦しくて心が悲鳴をあげている人がたくさんいるからです。
どうか多くの人がこの御言葉に出会い、この真実にたどり着き、神様のことを愛する人が世の中に増え広がることを心よりお祈り申し上げます。
私は長い間ずっと愛を求め続けていました。そして今神様がこんなにも人類を愛してくださっているんだということをRAPTさんの御言葉を通して、また聖書を通して知ることができました。
多くの人に、自分は一人ではないんだということ、ずっと神様が人間のことを愛してこられたということを知ってもらいたいです。
どうか主の愛が多くの人々に伝わりますように。どうか人々がこの救いの道を見つけ出すことができますように。
一人でも多くの人が救いの道を見つけられるように、活動していきたいと思います。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました。