幼少の頃の自分~学生時代~大人になった自分~


RAPTブログに出会うまでの自分の人生について語りたいと思います。

自分の人生を語ることによって、以前自分がそうだったように、この世の中を生きていくのに、心苦しく感じている人たちに、少しでもその苦しみから抜け出せるよう、ヒントになっていただければと思いこのブログを始めました。

私はRAPTブログを通して神様の存在を知りましたが、最初のうちは一般記事の中に混じっているキリスト教についての記事もまさか自分の人生に、こんなにも大きく関わってくるとは思いもせず、他人事のように読み続けていました。

しかしブログを読み続けていくうちに、RAPTさんの人柄を知り、神様を愛して生きている人であることを知り、徐々にRAPTさんに対する信頼感が生まれていきました。

RAPTさんの言葉を通して少しずつ、キリスト教についてや神様の思いを知るようになっていきました。

そしてどうやったら幸せになれるかという道を、1つ1つ実行していったところ、私の心からドロドロした不安ばかりの苦しみの世界から、少しずつ抜け出すことができるようになりました。

そのことについては、次の章で詳しく語っていきたいと思います。

では、RAPTブログに出会うまでの私はどうだったでしょうか?

私は毎日苦しかったです。
歳を重ねるごとに、苦しかったです。
どうして、こんなに苦しいんだろうと、よく一人でもがき考えていました。
どうして、誰も私を愛してくれないんだろうと、一人で泣いていました。
神さまの存在も知らなかったけど、ある日の自分は泣きながら、「誰か助けて!お母さん助けて!神様助けて!」と泣いた日すらありました。

日本人は神様の存在を教えてもらっていないけど、私のように何か辛いことがあったとき、「神様助けて!」と叫んだ人は、大勢いるのではないでしょうか。

信仰がなくても神様が「いる」ということを、なんとくだけど受け入れている人は多いのではないのでしょうか。

実際の私も、「神様助けて!」と叫んだ時にイメージしていた神様の姿は、日本の神社・仏閣にある神様ではなく、また八百万の神、七福神とか、風神・雷神とか、そういった風貌ではなく、自然とイメージする神様は、イエス・キリスト様の姿=自分のイメージする神様の姿 でありました。

私自身、神様に出会う前だったけど、過去に神様に泣きついた経験が1度や2度はあったことを、書いていて思いだします。

そして自分自身、どうしてこんなに世の中を生きていくのに心苦しいのか、苦しみにぶつかるたびに、自分なりに人生を回想して考えて生きてきました。

私は小学校上がる前までは、近所の子供たちと一緒に遊んだり、絵を描いて遊んだり、その時の私には、心にドロドロした不安なんて、1つもありませんでした。天真爛漫に、何も考えず、子供らしく生きていたと思います。

小学生に上がってからも楽しかったです。友達とも仲良く遊んでいました。もちろん、子供だから喧嘩もしますが、すぐに仲直りもします。

ただ小学生2年の時、母は勤めに出るようになりました。その時から、子供だけで家でのお留守番が始まります。私は母が帰ってくるまで、家に帰ったら宿題もせず、いつもテレビを見ていました。

特に夏休みの時は、アニメの特集が組まれるから、遊ぶ予定がない日は、一日中テレビを見続けていました。
アンパンマンとか藤子不二雄のアニメとか、いろいろな再放送番組、ワイドショー、とにかく暇さえあれば、テレビを見ていました。特に面白いわけでもありません。子供ながらにもっと有意義に時間を使いたいと思っていました。

ただテレビをつけてしまうと、その前から動いて他のことをするということが、出来なくなってしまうなということを、子供ながらに少しずつ気づいてはいましたが。

また私は漫画も好きでした。その頃の私は、集英社の「りぼん」・講談社の「なかよし」 という月間ごとに発売される少女漫画も毎月読んでいました。小学生時代の私は、そういった、テレビや漫画の情報で埋め尽くされるような生き方をしていました。

小学生低学年の頃は、テレビを見てもよい時間が、21時まででしたが、高学年に上がってからは、そのルールもなくなり、23時くらいまで起きてテレビを見ても怒られなくなりました。

その時から朝起きるのがが少しずつ得意ではなくなったと記憶しています。

中学生の時の自分はどうだっただろうかと、振り返ってみます。

中学生に入ると、「リボン」・「なかよし」は卒業し、中高生向けの少女漫画を友人と貸し借りしあいながら、読むようになりました。惣領冬美や、多田かおる、一条ゆかりなど。また少女漫画だけでなく、その時代少年ジャンプの絶世期だったこともあり、あらゆるジャンルの漫画を読みだすようになりました。

小説もそれなりに読みましたが、漫画のほうが比率が高かったと思います。
小学生のころから読んでいる少女漫画の影響は多大なもので、恋愛をしたい、素敵な恋人が欲しい、そのような考えが形成されて当然の生き方をしてきました。

友人との会話も、恋愛についての話も多く、また早い人は、恋人がいる人さえいました。正直羨ましかったです。

そして私の小学生からの親友はとても早熟でした。彼女の影響は私にとって、とても大きかったと思います。まだ中学生なのに、彼女は先輩とつきあい、性的関係を持ちました。

(30代過ぎてからようやく彼女が重たい口を開き話してくれたことによって知りましたが、中学生の頃の私は、彼女が幼い時から持ち続けていた苦しみを知りませんでした。ただ思うのは私だけでなく彼女もまた、神様のことをちゃんと知って生きていたならば、このような生き方をしてこなかっただろう、と思えてなりません。)

他にも小学生の時の同じクラスだった子達も、次々と恋人を作っていきました。そのため異性とつきあうことに縁がなかった私は、心の中で焦りが芽生えだしました。自分だけ遅れを取っていると思って過ごしていました。

とはいえ、中学生時代も明るく楽しく過ごしていたと思います。朝起きるのが苦手で、遅刻は多かったけど、そんなに大きな悩みは記憶にないくらい、のびのびと楽しく生きていたと思います。

そして、高校生活。

私の高校は、ほとんどの人が大学や短大などへ進学するため、真面目な生徒が多い学校でした。それでも、やはり多くの学生が恋愛をし、ちらほらカップルができていました。友人との会話も「○○君、素敵!」など恋ばなを咲かせることもありましたが、中学生の頃よりは、そんなに「恋愛」の話ばかりしなくてもよい、環境だったと思います。

高校時代の友人は、さほど早熟ではなく、異性と性的関係を持っている友人は、本当にわずかだったと思います。だから、私もそんなに焦ることなく生きて来れました。同級生と付き合ったことはありましたが、つきあったとも言えないような友人みたいな関係で、手もつないだことも無かったくらいです。

しかし、高校三年生の卒業まじかになると、自分の友達にも彼氏ができはじめ、まだまともに恋人もいない自分は、取り残された気分になり、そんな自分を恥ずかしいとすら感じていました。

~初めての恋愛~ そして、そこから心の苦しみが始まった~

そんな私にも、やっとこさ彼氏と呼べる人ができました。
彼は私より1つ年上でしたが、恋愛経験がすでに豊富な男性でした。つきあってしばらくして、彼と性的関係をもつことになりましたが、私はその日に感じた、なんだか大変な罪を犯してしまったとい感覚を今でも忘れられません。

彼と関係を持った日、私は自分にとってすごく大事なものを失ったことを感じていました。
すごく悪いことをしてしまったという、なんてことをしてしまったんだろうという。
少女漫画で読んだ幸福感は全く無く、私の心は不安で一杯でした。罪悪感でいっぱいでした。ただただ早く大人の女性になりたかったのに、その日の私は黒い闇みたいなものに包まれていたことを、はっきりと覚えています。

異性と性的関係を持ったその日から、私の苦しみの人生は始まったと思っています。RAPTブログに出会う前でしたが、自分なりにそれまでの人生を振り返って考えた時に、必ずこの場所に戻ってくるからです。苦しみの元がなんなのか回想するたびに、いつもここに行きつくからです。

小さい時の私の心は全く苦しくありませんでした。
小学生の時も、テレビの害はあったけど、毎日を楽しく過ごしていました。
中学生の時も、失恋したこともあったけど、一晩泣いたらすっきりしていました。
高校生の時も大丈夫、心が苦しみに満たされるような恋愛はしたことがなく、一週間もしたら回復します。

私の心が傷つきやすくなったのは、この肉体関係を持った恋愛が始まってからです。
それまでの自分は、悲しいこととや苦しいことがあっても、頭で考えるくらいで、体に痛みを感じることはありませんでしたから。

初めて性的関係を持ったその男性と、最初の日私の心は暗闇に包まれ、罪悪感で一杯になったにも関わらず、その次に彼と会った時には、そのことには意識を向けず、そのような罪悪感があったことには蓋をして、私たちの交際は始まりました。

お互いの家族も紹介し、彼の都合もあって、故郷を離れて他県へ行き一緒に生活をすることになりました。その時の私は彼とはいずれ結婚できたらいいなぁと、思っていました。

一つ年上の彼の言うことは、私にとって全てでした。彼の考えと合わないところでも、私が全て譲りました。
私はとても、ひょうきんな性格なんですが、彼はその性格を嫌いました。だから私は、おちゃらけたことを言わないように気をつけていました。今思うと自分ではない自分になっていったと思います。

だから家族や友人は、その時の私がだいぶ今までの自分と違うと感じていと思います。私自身、彼が好きな女性になるために、自分自身を押し殺していたんだと思います。その時は、実感がなかったけど。

そんな彼とのつきあいも、3年目を迎えた時に終わりを迎えました。結婚するものだとばかり思っていたのに、彼は信じられないことに、他の女性を好きになってしまったから別れたいと言うのです。

その時の私は、本当に絶望のどん底でした。心がボロ雑巾のように、ボロボロになりました。こんなに苦しいなら死にたいとすら思ったほどでした。

私は毎日毎日泣いていました。彼のことを忘れるまで、本当に時間がかかりました。今思うと、五年以上は彼のことをゆうに引きずっていたと思います。

悲しみだけでなく、心も痛むようになったのは、その時からです。その痛みは年齢を重ねるごとに、恋に傷つくごとに、誰かと恋愛をするたびに、どんどん増していきました。

~三十路前後~そしてその後~

そろそろ三十歳が近づいた時、私には決まった相手もなく、結婚もできていない自分に焦りを感じ始めていました。なぜなら三十歳までには、結婚をしないといけない!という、自分で作った固定観念にしばられて生きてきましたから。

そしてその頃の私は、一人の男性に対して恋心を抱きました。私は本気で彼を必要とし、何度もアタックしたのですが、結果は全敗でした。初めてつきあった男性依頼、それ以上に心を揺さぶられる男性は今までいませんでした。

それだけに、この片思いの恋はとても辛かったです。今こうやって書くまで忘れていましたが、その当時は本当によく泣いていました。考えるたびに、心は締め付けられ苦しかったです。

彼は私のことを決して嫌いだとは言わず、お互いに住んでいるところも離れていることもあり、好意はないわけではないけど、僕には遠距離恋愛はできないとはっきりと話してくれました。

彼は友人として、私と接していたと思います。しかし私は彼から連絡が来るたびに、一喜一憂し、まだチャンスはあるかも!と一人で頑張っては、撃沈する日々が続いていました。

30歳には結婚しないといけないという考えだったから、彼との報われない恋には蓋をして、私は別の男性とお付き合いをすることにしました。その時の私は、その男性とつきあいながらも、相変わらず思いは、片思いの彼に残っていました。

しかし、結局自分の思いに嘘がつけず、その新しい彼との恋愛は終ることになりました。

私は今まで振られるほうだったので、人を振った経験がほとんどありません。私はその時、彼を傷つけてしまったけど、それ以上に自分自身も傷つきました。その時、人生で初めて振る側も大変なんだなということを思い知りました。

もうこりごり、もうこんな恋愛はしたくないと。その出来事によって、絶対に結婚しないといけないと思っていた人生観が、結婚しないでも生きていける人生を目指そう!に思考が変わった瞬間でもありました。

~結婚しない人生を受け入れたその後~

相手を傷つけたことをきっかけに、結婚をゴールにしない人生を受け入れた私は、自分が生涯働けるように、手に職をつけないといけないと思いました。私は目標に向かって勉強をし、そのための学校も卒業しました。

私が進もうとしていた分野は、学校を卒業しただけでは、全くそのスキルは生かせない。私はその道へ進むための勉強を続けていくつもりでしたが、しかし、人生とは面白いもので、結婚をしない人生を受け入れた途端、その後しばらくしてから、今の夫となる人と出会い、結婚することになりました。

結婚しない人生を自分の中に受け入れたこともあって、自分のことながら、トントン拍子に進んでいく結婚話に心が追いつかず、結婚後もその調子でした。

とはいえ、こんな自分が結婚できるとは思ってみなかったから、こんな自分をもらってくれた相手に感謝の気持ちもありました。また人生一度は結婚とはどういうものなのか、体験もしてみたいとは心の片隅に思ってもいたので、突然現れた人生のパートナーに嬉しくも思いました。

~結婚をしてみて思ったこと~

私は結婚をすれば、毎月訪れるブルー(ヘドロ)が、もう来なくなるのかと思っていました。

結婚をすれば、私の心は満たされて、そういった不安・心配の塊に捕らわれることがなくなるのではないかと、期待していましたが、そんな期待とは関係なく、奴らは結婚後も現れました。

RAPTブログに出会うまでは、このヘドロの原因が何なのか、はっきりと分かっていませんでした。

そいつらがいつ頃から始まったのか、過去の自分の行いを振り返ってみた時に、肉体関係を伴う恋愛を始めてからだということまでは、突き止めましたが、なぜそれが心の痛みを伴うようになるのか、またなぜ、結婚してからもそいつらが現れるのか、私はその理由を分かっていませんでした。

RAPTブログに出会い、神様の御言葉に出会い、聖書に出会い、何が罪なのか、罪を犯したらどうなるかを知ることが出来ました。私が罪を犯し続けていたから、私の霊魂が苦しみ叫び続けていた。歳を追うごとに、苦しくなっていったのもそのためでしょう。

サタンが作ったシステムの社会で生きてきたために、間違った考えをたくさん脳に植え付けられていたこと。それらが何なのか1つ1つ理解し、自分の人生を通して、自分が苦しんだことを通して、はっきりとその理由と原因が分かることができるようになりました。

そのことについては、次の章「RAPTブログとの出会い」の中で詳しく話していきたいと思います。