御言葉を復習していて

先日書いた記事、「昨年から続けていること」にて、私はRAPTさんが朝会で配信された御言葉を、1枚の紙にまとめてます。ここ最近の私はその御言葉をまとめる作業が溜まりに溜まり、なんとか追いつこうと頑張っているところです。今ようやく、2020/9/11の朝会の御言葉まで追いつてきました。

今日は引き続き、その続きも行いたかったのですが、9/11の御言葉を聞いて、いかんせん心がポカポカ、ポカポカと喜びを感じ、この喜びを皆にも伝えたい気持ちになり、それと同時にこの滞っているブログの記事も更新しようと、パソコンに向かうことにしました。

私の心をポカポカとさせた、9/11の御言葉のタイトルは、

「2020年9月11日(金)罪があるから、不安や心配や悩みが生じる。罪をなくして主に祈り求めるなら、主がその祈りを叶え、全ての不安や心配や悩みをなくしてくださる。(地上天国とは、一ミリたりとも不安や心配や悩みがなく、平安と喜びと希望に満ち溢れた世界だ。)」です。

私が、RAPTさんのブログを読んだことをきっかけに、今現在このように御言葉を聞き、その御言葉に従うようになったのは、まさにこの朝会の内容のことが、私自身に起きてきたからです。

信仰を持つ前までは、ずっと当たり前のようにあった不安・心配が、罪を悔い改めることによって、祈ることによって、いつも問題が解決してきました。それだけじゃなく、祈る前までは、心の中にあったドロドロした不安が祈り終わるとスッキリとなくなっています。

それまでの私は、歳を重ねるごとに、どんどん大きくなっていく心にひょっこり現れるこのドロドロとした黒い塊を自分の中でうまく処理することができず、もがき続けてきました。

人生とはこのドロドロした黒い物体が、私の心・お腹の周りをはい回っていて、以前は月1回くらいに大ボスが現れるくらいだったのが、御言葉に出会う直前には月に2~3回の頻度に変わっていました。

私はそいつらのことを、ブルーと呼んでいました。またブルーが来たと。そのモヤモヤしたものが現れるたびに、なんとかして気を紛らわそうとしてきました。

その時、原因と思われる悩みがあれば、友達や母親に相談したり、またお酒を飲んで憂さ晴らしをしたり、独身時代は結婚したら無くなるのかしら?と考えたり、カラオケにいったら発散できるのかな?と思ったり、

旅行を計画したり、おいしいものを食べたり、ショッピングで気を紛らわしたり、映画を見たり、テレビを見たり、ドラマを見たり、何かをすることで一時的には気がまぎれるけど、いつもそいつらはすぐに現れてきます。

ブルーと呼んでいるそいつらのことを、ヘドロと表現することもありました。ドロドロの塊、ヘドロ。

とにかく私の人生において、そいつらは何かあるごとに現れてきます。上に書いたことをおこなっても、それは一時的な対処になるだけ。また時間の経過と共にすぐにやってきます。

でも、この御言葉に出会って、1つ1つ実践していくことで、私の中から、そのヘドロ達を退治することができました。どのように退治すればよいか、御言葉を通して教えてくださいました。

だから、今の私にはブルーまたはヘドロと呼んでいたそいつらが、やってくることは、以前よりは大分なくなってきましたが、時折そいつらは、ひょっこりやってきます。来たらすぐに、自分の罪を悔い改めて、そして祈りで撃退する。そのへんなのがいなくなるまで、消え去っていくまで、戦い祈り続ける。

そうすることで、どんな問題も解決することができます。

ドロドロ達を退治するだけでなく、自分に起きた問題も、全て御言葉で教えてもらった方法で解決することができます。

だからこそ、私はこの御言葉を信じたし、この体験があるからこそ、今も御言葉を実践し続けています。あのヘドロ達が来る生活が本当に嫌だからです。不安・心配だらけのあの世界へもう戻りたくないからです。

神様を知って、不安・心配との戦い方を教えてもらい、そしてそれが実際になくなることを体験し、それが続いているからこそ、私はこの御言葉を信じ続けている理由です。

9/11の御言葉は、自分が信仰を持ったきっかけと共通する話題が多く、またそれをRAPTさんの御言葉を通して、分かりやすく伝えて下さり、それを聞いて、さらにエクセルでタイピングし、そして紙に書き写してまとめていると、心がポカポカ、ポカポカと神様の愛に包まれている感じがして、幸せなひと時を過ごしていたこともあり、ちょっとその時の気持ちを、ここに書き留めてみたくなりました。

早く例の固定ページ、自分の人生について書くところ~神様に出会うきっかけのページをが完成させようと思います。

順番が変なことになってしまってるけど、平行しながら進めていこうと思います。(‘ω’)ノ すみません。
やはり御言葉を語るうえで、自分の人生、どのような罪があったから苦しむことになったのかを語らないと、どうしてこの御言葉を信じることになったのかが、伝わらないと思うので、御言葉書く作業が追い付き次第、そっちを重点的にしていこうと思います!

ついつい、こっちのブログ欄に出てきちゃってすみません。